「近代の憂欝」といふ言葉

 たゞこゝに問題となるのは、一旦「懐疑」の穽に落ち込んだ青年の、理想を見失ひ、「夢」はたゞ「現実」を逃避せんがための「夢」にすぎず、精神の糧はたゞ理論、生活の目標は快適、といふやうな状態にみる例の冷やかな憂欝であります。 それはまた、「満たされざる」気持にひきずられる自分の姿の惨めさを発見すること...

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青春の血を沸きたゝせること

 努めて現実を直視し、しかも、現実の彼方に夢を求めて、青春の血を沸きたゝせることは、その現実の峻厳な批判と抵抗とにひとたびは夢を破られても、決して、ひるむことを知らぬ果敢な精神の発露でなければなりません。 この時、憂欝はむしろ、自己の力の過信と不明とを悔いる反省の鞭のひゞきであり、更にまた、一層強...

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「歓楽極つて哀愁多し」

「歓楽極つて哀愁多し」とは、青春そのものの花やかな幸福感にもよく当てはまるやうに思はれます。哀愁はこの場合、憂欝の同義語とみるべきでせう。今日の時代は、青年の奔放な生活を許す筈もなく、青年も亦、善悪は別として、さういふ生活を望んでゐないやうにみえますが、もともと、人生の屈託もなく、歌ひたい時には何時...

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