男子青年の描かざるを得ぬ巨大な夢

 しかし、これは急ぐには及びません。日本の青年は、今や、夢と現実との交錯とも云ふべき大戦争によつて完全な試煉を受けつゝあります。男子青年の描かざるを得ぬ巨大な夢は、千里の海を越えた戦場に散る潔きつはものの誉であり、女子青年にあつては、やがて「おほみたから」を儲くる日の尊きおのが命《いのち》でありませう。「兵士」と「母」、この二つの名は、そのまゝ、現代日本に稀な典型を創造した、またとなく厳粛にして清らかな名であります。

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 青年は「夢」に生きると云ひますが、それと同時に、青年は、屡々「憂欝」の囚となるものであります。いはゆる明朗闊達な青年と雖も、実はその例に漏れないのです。 この「憂欝」の原因は、一つには、俗に「春の目覚め」と称する生理的変調にあるのですが、一つには、青年の「夢」そのものと密接な関係があるのであります。 生理的理由から来る「憂欝」は、医学の立場からすれば、一種の気分転換によりこれを克服すべきだと云ふのであります。即ち、勉強とか運動とかに専心すること、宗教や芸術に没頭することなどが、具体的に示されてゐます。時に、身体を規則的な操作によつて疲労に導くことが最も効果的であると云はれてゐます。 その方面のことは、一応専門家に委せるとして、私は、それよりもこの「憂欝」が、「青年の夢」と如何なる関係があるかを述べてみます。

「憂欝」とは、文字通り、一種の心理的な不快を指すのですが、その不快は爆発的なものでなく、むしろ内攻性をもつたもので、訴ふるに由なき焦躁の圧縮された気分の重さとでも云ふゞきものです。それは堪へがたい苦悶にまで至ることもありますが、おほかたは、環境の変化によつて明暗の度を異にする程度で、苦《にが》い吐息を交へることもあり、落莫として唇を噛むこともあり、たゞ味気なく、ひとり物思ひにうち沈むこともあります。

— posted by id at 10:28 am  

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