異性の「美」

 恋愛はある特定の異性のうちに自分の意に適つた「美」を発見し、この「美」を通じて相手のすべてを神聖な目的物として追求すると共に、相手からも同様の関心をもたれることを熱望する心の動きであります。 ところで、かゝる異性の「美」は、おほかたは客観的に在るものではなくて、常に、なんとなく心を惹かれる相手のうちに、自分の主観が創り出し、拡大していくものだとする説もあるくらゐで、かうなると、恋愛といふものは、一種の自己陶酔を意味することになります。恋愛は熱病なりと断じた一作家の言葉も、あながち極端だとは云へなくなるのです。 しかしながら、自己陶酔にせよ、熱病にせよ、人間一人の生涯に於て、それが如何なる役割を果すかといふことに問題は帰するのですから、恋愛をたゞ単に軽々しく扱ひ、または、恋愛のために一切を犠牲にするといふやうな態度は、深く戒めなければなりますまい。 そこで、私が先づ云ひたいことは、少年期を終つて将に青年期に入らうとする頃から、異性に対してわけもなく面映ゆいやうな気持を意識するやうになる、いはゆる「思春期」についてであります。 この時期は、青年にとつて最も危険な時期とも云へるのですが、それと云ふのも、この間に、「異性を観る眼」が養はれ、将来、どんな形にせよ、異性との交渉をもつ場合の、大切な「嗜み」が身につくか、つかぬかの境目だからです。

恋愛に多かれ少かれ「夢」の要素があるとして、その最も著しい現象は、「思春期」を含む、恋愛なるものを想像する時代の、つまり、はつきりした目標のない、或は「空想のなかに浮ぶ美しい異性」への、漠然たる「恋心」とでも云ふべきものでありませう。 次には、誰彼となく眼に映る異性のなかから、あてもなくその一人を拾ひあげて、秘かに戯れの思慕を寄せてみるといふこともありませう。 戯れが戯れに終らない悲劇も、この時代においては、さほど深い傷手とはなりません。

— posted by id at 10:21 am  

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